
数あるブログの中から、私のブログを読んでいただきありがとうございます!!!
ここでは、本ブログを運営している菊池 幸とは一体何者なのか?というところをお伝えします!
少しでも、私のことが気になったら是非最後まで読んでいただけると嬉しいです!
■目次
お金が無い家庭というのがコンプレックスだった
まずは、私の記憶のある生い立ちから紹介しますね!

なので家庭をやりくりするため、両親は共働きで私は小学生のころから、1人で留守番するのが当たり前の生活でした。
留守番するだけなら良いのですが、父親が借金を抱えていたり、家賃などを滞納していることもあり、取り立ての怖いおじさんが留守番の時にピンポンしてくるのが
とても怖いのを今でも覚えています。
父親がお金にかなりだらしなかったということもあり、母親が見兼ねて離婚を申し立て、私は母親と暮らすことになりました。
このような幼少期を過ごしてきたので、私はお金が無いということがコンプレックスになりました。
お金が無いと、家族と一緒に居る時間も全然確保できないし、自分の好きな事、やりたいこともできないのだと強く感じました。
漠然とですが、中学2年ころの私は、将来は「お金を稼げる社会人になる」と心に決めました。
両親の離婚への反発と反抗期が重なり、母親を困らせてしまう
今でこそ、母親が父親となぜ離婚したのか?ということが分かりますが、離婚当初の私(中学1年)では理解できず、
その矛先を母親に向けてしまっていました。。。
そして、反抗期も重なり、母親を結構困らせてしまいました。
具体的に言うと、母親が望むことの反対をやっていました。
例えば、
- 学校での素行を悪くする
- 母親の言ったことの反対の事をやる(これをやってと言われたら、やらないなど)

母親を困らせないと決めたキッカケ
前章でご説明したように、中学3年くらいまで、かなりやんちゃしてました。
学校ではゲームをしたり、授業放棄したりで、成績は常に最底辺でした。
そんな私が

それは、2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災です。
私は、18歳まで宮城県で過ごしました。
なので、東日本大震災の時はもろ被害を受けたんですね。
具体的には、自宅が全壊という具合です。
そして、当時の私は母親への反抗心マックスだったのですが、そんな私でも母親は私の事を守ろうと必死になっていたんですね。
例えば、
- 食料を調達したり
- 私がお腹いっぱいになるまでご飯を用意してくれたり
- 寝床も与えてくれたり

そこで、私は

と強く思ったんですね。
そこからは、学校での素行も改善し、勉学にも励みました。
その結果、中学3年間では最底辺の成績だった私が、高校3年間ではクラストップの成績になっていました。
母は私に対して
「父親のように、お金にだらしなくない人にはなってほしくない」
と強く願っていました。

そして、何とか第一志望の大学に入学することが出来ました!
第一希望の会社からの内定、しかし働いてみるとそこは地獄だった
多くの方が、大学に進学したら
「4年間遊びまくるぞ!」
「自分の好きな事に打ち込むぞ!」
という風に考える方が多いかと思いますが、私の場合は違います。
お金が無い幼少期を過ごし、お金が無い事にとても強いコンプレックスがあったので、

という気持ちで大学の入学式に臨んでいました(笑)
- 大学1年は議員インターシップに励んだり
- 大学2年は営業のバイトをしたり
- 大学3年はゼミのディベート代表や寮の代表をしていました。
どれも大学4年の就活に向けた戦略的な動きでした。
大学生活を就活のために捧げた結果、見事第一志望である企業の内定をいただくことが出来ました!
しかし、入社してから待っていたのは、夢も希望もない40年以上も続く社畜人生という事でした。
もし、私が好きな分野、やりたいことができるような職種であれば、考えが変わったのかもしれませんが、入社した企業は私がやりたいことができるような環境ではありませんでした。
社会人生活を送ると以下のような気持ちが次第に強くなっていきました。
「サラリーマンの給与には限界がある」
「自分がやりたくない事、面白いと思えない事をこの先40年も続けるのは辛すぎる」
「学生の時に比べてお金を稼げるようになったけど、全然好きなように使えない」
「自由な時間がない」
「人生一度きりなのに、このままで良いのか?」
色んな気持ちを抱いたのですが、サラリーマン生活が合わないと思った一番の理由は
「家族のために、時間を割くことができない」
ということですね。
実家と勤務地が同じ県とかであれば、話は変わってくるかもしれませんが、私の場合は実家が宮城で勤務地が東京なので、中々家族と会う時間を作ることが出来ません。
今まで母にはたくさん苦労をかけてしまったので、好きな場所への旅行や働かなくても良いようにフォローしてあげるなどしてあげたいと思っているものの
サラリーマンである以上、そのようにしてあげることが出来ないのが、私にとっては辛い事でした。
なので、私は社畜にならない人生は何かを真剣に考えるようになりました。
つまり、お金や時間、場所に縛られない生き方は無いかを模索し、その方法を実現するためにはどんなことをすれば良いかの真剣に考えるようになりました。
月商500万円のメンターとの出会いが人生を変えた
それからは、お金や時間、場所に縛られない生き方を実現するため行動しまくりました。
具体的には
- リサーチ
- 実践
の繰り返しです。
アドセンス、クラウドソーシング、アフィリエイト、Youtube、株などいろいろやってきましたが、どれも私が思い描く理想のライフスタイルを実現するには程遠い結果で終わりました。
そこで、私はなぜ上手くいかなかったのか?
ということを考えました。
すると、1つの結論にたどり着きました。
それは
「その道の成功者からの教えを受けていない」
ということです。

独学で頑張って成功するのは不可能ではないですが、かなり難易度が高いです。
なぜなら、自身の行動が正しいか判断できないからです。
例えば、プロの水泳選手になりたいと思ったときに、誰の教えも受けずプロの水泳選手になるのは非常に難易度が高いです。
だからこそ、水泳教室に通いスキルアップを図る人が多いと思います。
受験勉強だって同じで、独学で東大に合格するのは難しいです。
だからこそ、勉強ができる友達、先生、塾、予備校などでその道の専門家から教えを受けるわけです。
なので、私はすでにお金や時間、場所に縛れていない人から教えを受けることを決めました。

メンターをどのように選んだのかというと
- 私が実現したいお金や時間、場所に縛られない生き方を実現できている人
- 結果にコミットしてくれそうな人
です。
ありがたいことに、メンターはすごく丁寧で優しい方で、直接指導してもらい、私は家では学んだことを休日は朝の10時から夜10時まで徹底的に試しました。

メンターの教え通り、行動した結果、月収30万円を達成することが出来ました!
メンターをつける重要性を知ることになりました。
メンターがいることで稼ぐために必要なことが明確になり、迷いなく作業が進められる。
今思っても、あのとき本当にメンターを付けてよかったなと思います。
それ以降のビジネスも、この「稼ぐ」という経験をしたことで
「なにをどうすれば稼げるのか」というビジネスの本質を知ることができたので収益も50万、80万と増えていきました。

独学でやっていたときも、朝から深夜まで頑張っていたと思いますが、
自分一人でやっていても、いまやっている方法が正しいのか間違っているのかわからないし、
間違った方法でどれだけ努力しても稼ぐことはできないと思うんです。
いま何かを継続してやってるけど上手くいってない人って、
何かをちょっと変えるだけで一気に好転する可能性があるんです。
だって、その継続できる力があるから、正しい方向を知ることで一気に成功へ近づけると思うんです。
私も今までこういう経験を何度もしてきました。
独学でやって全く稼げなかった。
今は月商500万稼いでるメンターがいて進んでいる方向が間違ってないか助言をもらいたくさんのことを学び続けています。
メンターから学ぶ⇒試す⇒収益が出る⇒さらに高いレベルのメンターに学ぶ

なので、あなたが今信頼できるメンターがいないなら、すぐに見つけることをおすすめします!
一緒に人生を豊かにするために頑張っていきましょう!